2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
第12回 赤ちょうちん 2001年09月
居酒屋兆治
ここ7、8年くらい、映画「居酒屋兆治」の舞台に雰囲気がよく似た、もつ焼き屋に通っている。もつ焼きはどれも1本100円。焼酎のサワーが1杯350円で、3000円もあれば一晩飲める。お客さんは、地元の建築や土木に関わる職人さんが多く、看護婦さんのグループやヤクザ屋さんなんかも来ている。みんな常連さんだ。
昭和17年生れのマスターは、家出した宇宙飛行士の毛利さんのボウズ刈りのお兄さん、みたいな風貌で、「兆治」の健さん(高倉健)とはとは対照的に明るくてチャーミングな人。栃木県の農家出身で、奥さんの「せっちゃん」とふたりで店を切り盛りしている。店は夕方5時から夜中までいつも満席だ。
「せっちゃん」は本名ではなくて、もつ焼き屋を始める前にマスターとやっていた、ホステスが5人くらいのバーでママをしていた時の源氏名。ヨッパライが嫌いで、その相手をしなければいけない自分と、本当の自分を分けるために本名を使いたくないという。
この店にはヨッパライが多い。ドラマに出てくるようなヨッパライが2回に1回は見られる。泣き上戸、笑い上戸、横で見ていて話がかみ合わなくなる人。人間、ここまでお酒で変わってしまうのか、と恐くなる。アルコールは、やっぱり、ドラッグなのですね。
ナミキさん
常連のひとりのナミキさんは8人ぐらいの小さな電気工事の会社の部長さん。いつも、社名の入った、ヨレヨレの作業ジャンパー姿でやってくる。一定量のお酒を飲むと、なんの脈絡なく下品な4文字言葉を2分に1回の割合で連発しはじめる。50代も半ばを過ぎているというのに、自分より年下の周りの客に「先輩!」「先輩!」と話しかけ、無理やりに話に割り込んで、自分の話を聞かせようとする。いつだったか、ほかの客が連れてきていた、小学校の高学年の男の子に「先輩!」と話しかけていたのにはあきれた。
ちなみに、女性の2人称は、「おねえさん」と「おかあちゃん」の2種類を使いわける。気の強いおばさんに、「わたしは、あんたの母親じゃない!」と一喝されるのを見たことがある。昨日も見た。
ナミキさんは、常連客の暗黙の了解で、そこにいないことになっている。それは不思議な光景で、話し相手のいないナミキさんは、「先輩」「おねえさん」「おかあちゃん」と、だれかれかまわず呼びかけるしかない。
ナミキさんはいつも同じ話を繰り返しているので、いつのまにか僕は、彼の人生が語れるようになってしまった。バツイチのナミキさんは、バーの女のコをくどくために、毎日花を贈り、ホテル住まいにしてあげた。それが今の奥さん。お金は会社の社長さんから借りた。奥さんからは「ダマされた」と毎晩責められているらしい。
「オレなんかバカだからさ」と、「人生、いつも訓練だからさ」が口癖だ。
昔、ODAかなんかの仕事でサハラ砂漠に行き、1年間、フィリピンからの出稼ぎ労働者の監督として働いた。毎晩、彼のテントに訪ねてくる部下の愚痴を聞くのが仕事だったらしい。でも、不思議なことに英語ができそうな様子はない。1年間、女性を見ることなく働いて稼いだお金は、神戸のソープランドで1週間でつかってしまった。
2回目の海外の現場、スリランカでは、工事資材の電線を何百キロメートル分だか横流しした。50メートル横流しすると、バーで一晩飲めたという。でも、バレて日本に強制送還された。
「オレなんかバカだからさ」という彼の口癖を、周りのお客さんは、聞こえないふりしながら、頷いているのが可笑しい。「人生、いつも訓練だからさ」というもうひとつの口癖を聞くたび、「ちっとも訓練になってないでしょ」と、僕は心の中でつぶやいてしまう。
でも、なんだかとってもチャーミングな人ではある。せっちゃんの彼に接する態度は、とてもやさしい。
解体屋の元暴走族たち
いつもニコニコしながらお酒を飲んでいる解体屋の社長さんは、金ムクの腕時計とダイヤの入ったぶっとい金の指輪をしていて、とても素人には見えない。でも、すごくいい人。風貌はファイティング原田が痩せたまま年取った感じ。いつも、自分の息子を含む5、6人の若い従業員を連れて飲みに来る。スポーツ刈りで夏は甚平だ。
昔は外国に労働者を集めに行ったこともあるけれど、その中のひとりが交通事故を起こし、不法就労が問題となって大いに懲りた。今の従業員は日本人の若者だけ。みんな金髪で元暴走族。モノを作るのは苦手だけれど、壊すのは得意なので解体屋にはうってつけだ。
看護婦さんたちのグループから聞こえてくる下ネタは、おなかの中を切って内臓を見ている人たちだけに、レベルがものすごく高い。このほか、稼いだ金をみーんなパチンコですってしまう人。ギャンブルの借金で夜逃げしてしまった人。いろんな人にこの店で出会う。
映画「居酒屋兆治」が封切られた1983年当時の僕は、函館で小さなもつ焼き屋(焼き鳥ではなく)を営む高倉健と、加藤登紀子が演ずる店を手伝う妻、店に集まる客たちの人生模様を描いたこの佳作に、物語としては面白いけれど、ここに登場するような人たちは現実の世界にはそういるものではないし、仮にいたとしても、自分とは一生接点がないと思った。
当時の僕は、「ブルータス」のファッション・ディレクターで、当時の「ブルータス」の「ファッション・ディレクター」といえば、オシャレな世界のトップ・オブ・ザ・トップ!!ブイブイいわせまくって、肩で風を切っていた(そんな時代もあったのですね)。赤ちょうちんは別世界だったのです。
たいていの人は、人生を自分と住む世界が似通っている人たちのなかで過ごしていく。同じような学力や経済的な背景を持つ子どもが集まる学校に進学して、大学に入ると、同じようなカッコの仲間たちをつくり、就職すると、価値観や目線が同じモノになってくる。付き合う人たちはどんどん限られていく。僕の場合はというと、仕事柄、普段コミュニケーションをとるのは、ファッションとかマスコミに関係する人たちばかりで、いわゆるフツーの人たちとの接点はない。
でも、フツーの人たちっていうのは、ちっともフツーではなくて、それぞれの人がそれぞれの人生を生きているのです。当たり前のことだけれど。
あなたも家の近くにある赤ちょうちんをのぞいてみると、思わぬ人生のストーリーを垣間見ることができるかも。
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- 最終回 ウシ君と全部で6匹のネコ