2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
第19回 ナッパ・レザー 2002年04月
レザーはセクシャル
レザーで作られたものが好きだ。着るものやバッグはもちろんのこと、クルマの内装もレザーにこだわってきた。マゼラーティを4台も乗り継いできたのも、あの独特な総革張りの内装の魅力に負うところが大きい。
人間がレザーに惹かれるのは、肌触りや、動物的な匂いにセクシャルなものを感じるからだろう。ボンデージやSMの世界にもレザーはなくてはならない素材だし、人間の心の奥底に残った本能に、レザーに惹かれるDNAが組み込まれているのだ。そうじゃなければ、21世紀のこんにち、動物の皮をはいで、それを靴やカバン、服にして身につけたりする野蛮な行為をつづけていることに理由が見あたらない。
僕がレザーの服に目覚めたのは、20代のはじめのころ、アルマーニのレザー・ブルゾンに一目惚れして、衝動買いしたことからだ。1978年だったと思う。ジョルジオ・アルマーニが自分の名前を冠したブランドをスタートさせたのが75年だから、その数年後のことだ。当時のアルマーニは男性的でシンプルなラインの服が特徴で、あの柔らかいジャケットとともに、サープラスを意識したブルゾンのシリーズが新鮮だった。日本では2軒だけ、六本木のアルファキュービックと新宿の伊勢丹の特選売り場で扱っているだけだった。
まだ、イタリア・ファッションが業界内でもメジャーになる前、それはそれは高価な服だった。当時の給料の3か月分のお金をだして、伊勢丹で買った。そのアルマーニのブルゾンは、限りなく黒に近い茶色で、レザーはまるで布のように薄く柔らかかった。表面に象皮の型押しが施され、肩には薄いパットが入っていた。
そのブルゾンは、僕のトレードマークになった。ほかのアイテムをアルマーニで揃えるお金など持っていないから、イタリアのファッション雑誌「ルオモ・ヴォーグ」を穴があくほど見て研究して、ロングポイントのレギュラーカラーのシャツに、それらしいプリント・タイというコーディネーションが、当時の僕の、一番のドレスアップになった。生まれて初めて味わう柔らかい感触が、今でこそポピュラーな「ナッパ」という子羊のラムスキンだったことは、何年かたった後で知った。
この1着がきっかけとなり、その後レザーの服に凝りだした。今でも柔らかいスエードやナッパ・レザーを好んで着ている。
レザーは、その種類や特徴によって、シューズやバッグ、服と様々に加工される。歴史やクラフツマンシップがもっとも重要視されるジャンルの産業だ。だから、数十年、いや100年という単位でビジネスを守ってきたブランドしか、最上級のクオリティの製品を作り出すことができない。ヨーロッパにそうしたブランドが多いのは、産業としての歴史の長さと、クオリティの高い、つまり高価な商品が売れるマーケットが存在したからだろう。
創業1846年
すぐれたレザー商品を作る会社は、地中海周辺に集中している。つまり、イタリア、フランス、スペイン、の3カ国がレザーの商品の世界的な輸出国なのだ。
日本でも、ヨーロッパの一流皮革ブランドに負けないクオリティを目指している注目すべきブランドはある。彼らに聞いて驚いたのは、狂牛病の影響が最近、皮革の世界にも出ていて、アレ以前と比べると、マーケットに流通する皮革素材の総量が劇的に少なくなっているという。だから、品質の良い革を確保するのが困難になりつつある。食肉だけでなく、こんなところにも狂牛病の影響がでているのだ。
では、ヨーロッパは?そう思っているところへ、2月にスペインへ行くチャンスがあった。レザーで有名なスペインのファッション・ブランド「ロエベ」のマドリッド本社と郊外にある工場見学に行くことになったのだ。
「ロエベ」の歴史は古く、マドリッドで1846年に革工房としてスタートした。革の小さなケースや額縁、シガーケース、書類カバン、バッグ、本の装丁などで評判となり、1905年にはスペイン王室御用達の称号を受け、その栄誉は今も続いている。
マドリッド郊外の工場のエントランスには、革の重さや厚さを測る古い機械がディスプレイされていて歴史を感じさせる。自然光が入る体育館のように広い工場では、100人ほどの人たちが近代的な設備を使って仕事をしていたが、要所の部分は手仕事。この工場では、おもにバッグや小物が作られており、もうひとつ、バルセロナにあるレザーの工場では、バッグと洋服が作られている。バルセロナには、革製品以外の洋服の専用工場もある。
革のシートの選別は、この道数十年というおじいさん。ミシンをつかうのは、女性の職人さん。微妙なカーブを縫う繊細な仕事は女性にしかできないそうだ。「ロエベ」のマーチャンダイジング・ディレクター、マルソル・パラさんに話を聞いてみた。
「ロエベ」は、150年という歴史の積み重ねの中で、特別なアドバンテージを持っているという。ヨーロッパの革素材の最も品質の良いものを優先して買い入れることができるというのだ。特に、あの柔らかい子羊のナッパ・レザーは、スペイン、カタロニア地方のピレネー山脈の周りで育った生後1年以内の子羊、その世界最高に分類される革の最上級の全体の3パーセントにあたるナッパ・レザーを入手しているという。ナッパ・フリークの僕もそのことは知らなかった。
トレンチコート
狂牛病の影響は、ヨーロッパの皮革の世界ではなかったという。スペインの皮革の歴史は15世紀から連なるもので、そう簡単に崩れるものではないらしい。
「ロエベ」は、1996年からLVMHグループに入り、若手デザイナーと契約してファッションのトレンドの部分も併せ持つブランドへと変身しつつある。この3月にはスペインの血を引くベルギー人、ホセ・エンリケ・オナセルファを新しいデザイナーとしてパリコレ・デビューさせている。
レザー・グッズをつくる会社だった「ロエベ」が、トータルなファッション・ブランドに成長できたのは、LVMHグループ入りする以前から外部のデザイナーと交流を図っていたからだ。
アルマーニ・フリークの僕も知らなかったことだが、「ロエベ」がはじめてレザーの洋服をつくりはじめたときのデザイナーが、若き日のジョルジオ・アルマーニだった。「ロエベ」はアルマーニさんから服づくりを学んだのだ。ウイメンズでは、カール・ラガーフェルドと数年間契約したことが重要なターニング・ポイントとなったという。
スペインでは、新しい内閣ができると、閣僚全員のためにレザーのブリーフケースが作られる。バッグの外側には、役職とその大臣の名前が刻印される。この製作を担当するのが「ロエベ」で、これはもう長い間続いている慣習だという。こういう話を聞くと、ブリーフケースひとつにこだわりを持つヨーロッパのソサエティに感心してしまう。
でも、僕には、一生持てないそのブリーフケースより、世界最高品質というナッパ・レザーの洋服に興味がある。で、セラノ通りにある、「ロエベ」のメンズのブティックで、ナッパ・レザーのクリーム色のトレンチコートを購入しました。なんとライニングは、イタチの毛皮。ほとんど見た目はミンクです。日本に戻ってから銀座のロエベ・ブティックに袖詰めを頼んだのだけれど、取りに行く暇がないまま、とうとう冬は終わってしまった。
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- 第2回 ミラノはスマートがいっぱい
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- 第3回 レクター博士の石鹸
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- 第5回 最後の晩餐
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- 第14回 キッチン・ヴァージン、料理に挑む
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- 第15回 最近、どんなスーツ着てますか?
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- 第16回 隠れジンギスカン・マニア
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- 第17回 カバン・コレクション
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- 第18回 ピニンファリーナ・コレクション大中小
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- 第19回 ナッパ・レザー
- 2002年05月
- 最終回 ウシ君と全部で6匹のネコ