2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
最終回 ウシ君と全部で6匹のネコ 2002年05月
コリー犬とウシ君
僕の家にはネコが6匹いる。
多いときには、7匹いたこともある。特にネコが好きなわけではない。どちらかといえば、イヌの方がすきで、子供の頃は、家で大きなコリー犬を飼っていた。そして、彼女の世話をするのが、僕の大きな責任のある仕事だった。
小学生の時は、父親の仕事の関係で転校が多く、どの町に行っても転校生だった僕の変わらぬ友達は、唯一彼女だけだった。コリー犬は、イヌのなかでも特に利口で、そしてなにより僕に忠実だった。
でも、中学生になり、これが最後の引越しになるだろうという父親の転勤の時、年老いた彼女に長い移動は無理だろうという親の意見を受け入れて、その町の父の友人彼女をゆずって置いてきてしまった。あんなに大切な、かけがえのない存在だったはずなのに。
すごくつらくて寂しかったけれど、中学生になった僕は、クラブ活動や、あたらしい世界に順応するのに忙しく、やがてあんなに大切だった彼女のことを、時がたつにつれて忘れてしまった。大人になってから、どうして彼女が死をむかえる最後の日まで面倒をみてあげなかったのだろう、という自責の念と大きな後悔を感じるようになった。その気持ちは、今でも拭うことができない。そのイヌと別れたあと、もう二度と動物を飼うのをやめようと心に決めていた。子供なりに別れや死がとてもつらいことだと学んだからだ。
ネコがやってきたのは、結婚してすぐのころ、友人の女性スタイリストが子ネコを飼い始め、そのあまりのヤンチャさに育児ノイローゼのようになってしまった彼女を助けるかたちで、その子ネコを我が家に引き取ったことからはじまる。気が強くて、ヤンチャなオスの子ネコは、日本猫の雑種で、まるで、ホルスタインのような、白と黒のまだら模様。だから、名前は「ウシ」君と名付けた。
妻が無類のネコ好きで、彼女に押し切られて始まったネコのいる生活だったけれど、僕は、当時住んでいた、マンションのモノトーンのインテリアにマッチするから、まあいいか、というくらいの軽い気持ちだった。でも、すぐに「ウシ君がひとりではかわいそう」という妻の意見に負けて、三毛のメスの子ネコをもらってきてしまった。名前は「ミーちゃん」。とても臆病な性格で、乱暴なウシ君にいつもいじめられている。
世話は大変
2匹があまりに仲が悪いので、それを中和するためにと、やってきたのが、やはりメスの三毛の「ジンジャン」。優雅で気品があり、それでいて人懐っこい彼女の名前は、妻が好きだった三島由紀夫の「豊饒の海」に登場するタイのお姫さまの名前からとった。マンションに人間ふたりとネコ3匹、しかも1匹は、乱暴者のウシ君。このころから我が家は、ネコを中心にまわりはじめた。そして、毎年のようにネコは増えていった。妻が道端に捨てられている子ネコを拾ってきてしまうのだ。
彼女には、彼女なりの節度があって、我が家の唯一の王様、ウシ君の権力を守るために、メスのネコだけが選ばれて我が家にやってくる。僕が新しいクルマを買うたびに、交換条件と言って、また1匹増えていく。我が家は、クルマも増えていったが、同時にネコも増え続けていった。ネコたちのために一軒家に引越しをし、最後には、ネコのために家を建てたようなものである。
今いる6匹のほかにも、途中で死んでしまった2匹を加えると、8匹のネコと暮らしてきたことになる。飼うまでは、思ってもいなかったことだけれど、ネコにも1匹ごとに性格があってそれぞれ個性がある。考えると当たり前のことなのだけれど。たくさんのネコが一緒に暮らすとそこにひとつの社会ができ、人間関係ならぬ、ネコ関係が生まれ、力関係や、お互いの相性など、彼らには彼らの苦労やストレスがあるのだとわかる。特に我が家のネコたちは、家から一歩も外に出さないで暮らしているのでそれが強いのかもしれない。
これだけたくさんのネコがいると、その世話は大変だ。1日に与えるキャットフードも大量になるし、なによりトイレを清潔にたもつには大変な労力が必要となる。でも、それを僕が知ったのはごく最近のことである。
今から、2年半前に妻が死んでしまった。
僕がニューヨーク・コレクションのために出張しているとき、夜中に突然、そのことを告げる電話がホテルに入った。それからのことは、よく憶えていない。夜中の12時を回ったニューヨークで、あらゆる手をつくして、次の朝のフライトを押さえ帰国した。家に着いた時、妻は、リビングルームに置かれた棺の中で死に化粧をして眠っていた。まわりには、彼女の親戚と僕の部下の女性たち。わけのわからないままに、葬儀屋と打ち合わせをさせられ、次の日の通夜と、葬儀の段取りを決めた。なんと、見積もりは、パソコンを電話線に接続し本社と結んで、その場でアップデイトされてゆく。ここまでITの時代がきているのか。ぼんやりそんなことを思った。深い悲しみが、心の奥底のほうに閉じ込められてゆくのを感じた。
6匹のネコたちは、妻が書庫につかっていた広い地下室に閉じ込められて、何がおこっているのかも知らずに、そこに閉じ込められている不満を鳴き声で訴えていた。
ボヘミアン・ラプソディー
次の日の通夜は、僕の会社のスタッフ(全員女性たち)が、すべて段取りをとって仕切ってくれた。そう、僕たちはイベントを仕切るプロの集団なのだ。でも、いつものファッションのイベントと違って、喪主というポジションがどういう行動をとればいいのかが僕にはわからなかった。
斎場の中と、表通りからつづく100メーターほどの玉砂利の参道には、妻が好きだったクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」がBOSEの大きなスピーカーから流れている。フレディ・マーキュリーの歌声が切なく哀しい。なんとその時の僕は、会場の入り口で、ゲストを迎えて笑顔でグリーティングしていたらしい。いつものファッション・イベントの時と同じように。
どうも、この夜からつい最近まで、僕は、妻の死を現実のものとして受け止めていなかったような気がする。ただただ慢性的な鬱状態。変わらない毎日の繰り返し。生きている理由を見つけだせない日々。悲しみを発散できずに、心の奥に閉じ込めてしまったことが原因なのかもしれない。
あれから2年半の間、僕は、あいかわらず、同じ家に、ネコ6匹と暮らしている。あの、乱暴者のウシ君も気が付けば、19歳になった。人間の歳でいえば、90歳くらいのおじいさんだろうか。ほかのネコたちも、もういい歳である。これから1匹ずつ彼らの死と向き合っていかなければならないことを考えると憂鬱だけれど、冷静に受け止めていこうと思っている。
毎日のネコたちの世話は、辛くて面倒な時もあるけれど、でも、わがまま放題のネコたちとの何気ない毎日のなかで、逆に僕は癒されてきたのかもしれない。やさしいことを何もしてあげることもないまま死んでしまった妻への罪悪感がそうさせてきたような気もしたけれど、最近になってそれは間違っていると思いはじめている。
当たり前のことだけれど、過去に縛られて惰性で生きてゆくのは意味のないこと。こんな単純なことを、やっと、そう本心から思えるようになった。それに気づくのにずいぶん時間がかかった。自分の中に引きこもっていたこの2年間の時間も、人生の一時期には必要だったのかもしれないけれど、それももうおわりにする。仕事にも私生活にも前向きに、いろんなことに好奇心を持って、ポジティブに毎日を過ごさなければ生きている意味がない。本をたくさん読んで、映画もいっぱい見て、いつもお洒落をして、美しいクルマに乗って、そしてあたらしい恋をして……。
ネコとおなじくらいの数のガール・フレンドを持ったっていいんだよね。独身なんだから。根本的には、女のひとって、赤い爪をしたネコだっていうたとえもあるくらいだし、ネコ6匹をひとりで相手にしてきた経験が、ここで無駄にはならないはずだし。
いつまでも純粋で純真な心を持ち続けていようと心に誓っている。
「コーイチのボーイズ・ライフ」にまだまだ終わりはこない。みなさん、これまでご愛読ありがとうございました。またどこかでお目にかかりましょう。
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