2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
第5回 最後の晩餐 2001年02月
バベットの晩餐
1987年に製作されたデンマーク映画「バベットの晩餐会」を最近ビデオで見た。この作品は、翌年のアカデミー賞とゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受賞したこともあって、日本でもヒットしたが、機会に恵まれず、これまで観たことがなかった。
物語は、19世紀のユトランド半島にある海辺の小さな村が舞台。敬虔なルター派の牧師の娘、美しいふたりの姉妹が、淡い恋をしながらも、牧師の死んだ後、教会のために結婚もせずに老いていく。その姉妹のもとに、フランス革命のためにパリにいられなくなった女性、バベットが身をよせ、無給の家政婦として姉妹の世話をすることとなる。バベットは過去を語らず、もくもくと、とてもおいしそうに見えないその土地の料理を教えられたままに作っていた。
15年ほどたったある日、彼女の甥が毎年、彼女のために買いつづけていた、フランスの宝くじが当たってしまう。賞金は1万フラン。19世紀のことだから、とてつもない大金である。姉妹は、これでバベットがパリに帰ることを覚悟するが、バベットはこんなことを申し出た。
死んだ牧師の生誕100年を記念して開かれる晩餐会の準備を自分が好きなように取り仕切りたい。
そして、村人十数人を集めた晩餐会には、バベットがフランスまで出かけて材料を選りすぐり、精魂こめて作ったフランス料理と、極上のシャンペンとワインが饗せられる。信心深い村人たちは、贅沢な食べ物について、食事中に決して語らぬよう申しあわせをするが、食事が進むうちに、それを語らないことがだんだん辛くなってくる。最後には、みんな幸せな豊かな気持ちになっていく。実は、バベットは、昔、パリ一番といわれていたレストランの、伝説の女料理長だったのだ。
食事の後、姉妹は、バベットに、宝くじの賞金をもって、パリに帰ることを勧めるが、バベットはこの日の晩餐会の費用にすべて使ってしまった、と告げる。映画はそこで終わる。
料理を題材にした数ある映画の中でも、「バベットの晩餐会」は、バベットの魂が乗り移ったようなその料理を見ているだけで、ディナーが進むうちにだんだん感動して、食べてなくても、こちらまでいい気持になってしまう不思議な映画だ。
この映画を観て、食べること、「食事」という行為が人間の営みのなかでいかに大切なのかを考えさせたれた。エネルギーの補給のためだけに、人はものを食べるのではないのだ。
20世紀の晩餐
自分のことを振り返ってみると、最近、毎日どんなものを食べているのか、3日前に何を食べたか思い出せないような食生活を送っている。自宅でお湯を沸かすことすらない。家から自転車でいけるトンカツ屋にはよく行く。食べることへの欲求がなんだか、どんどん衰えてきているような気がする。その一方で、できることなら、いつも納得のいくおいしいものを食べたい、と思っている。でも、それを実行するのはのもすごいエネルギーがいる。
こんなことをあらためて思い、さらには「バベットの晩餐会」なんてシブい映画をいまさらながら観たのは、最近、一生忘れることのできない、特別な食事をしたからだ。それはそれは素晴らしい経験だった。10月の末に、日本ダイナースクラブ40周年記念として、恵比寿のレストラン、タイユバン・ロブションでおこなわれた、フランス料理界の法皇、ジョエル・ロブションと日本料理の横綱(?)、小山裕久との2人会「20世紀の晩餐」に参加したのだ。
ジャンルの異なる二人の料理人が、お互いの感性と技を研ぎ澄まして創作したメニューは、単なるフレンチと日本料理のフュージョンではなく、お互いの料理の歴史や文化を認め合ったうえで完成させた、素晴らしい結婚だった。まさに、料理の新しい世紀の扉を開く画期的なイベントだったと思う。
ひとり8万円という高価なプライスは、その夜までにいたる彼らふたりの、新しい料理を創造しようという意志、そして努力のことを思えば、決して高すぎる値段ではなかったはずだ。ブランド品のハンドバッグなどより、むしろリーズナブルだったと思う。
僕自身は、仕事でかかわったわけだが、ロブションと小山、両氏の晩餐会当日までの半年間は、料理や料理人についての認識をあらたにするに十分だった。つまり、料理というものは、それを食べることにも、センスや感受性が必要だってこと。
コーイチの晩餐
もしこの先、今回の体験以上の食事をしたいと思うなら、もはや、最高の料理人を個人的に雇って(つまりチャーターして)、準備にも十分な時間をかけ、自分の気の置けない友人だけを招待して、一夜かぎりの晩餐会をするしかないのではないか。
世の中、以前のグルメ・ブームとはカタチを変えたけれど、相変わらずレストランのガイドブックや雑誌の特集は花盛り。インターネットのグルメ・サイトを覗くと、いまや誰もが料理評論家だ。親しい友だち同士のたわいのないレストラン批評が、インターネットという新しいメディアの出現によって、その店の評判を上げたり下げたりするような規模にまで広がっている。僕たちはものすごい料理やレストランの情報に囲まれている。でも、味覚というのはごくごく個人的なものだ。その時の自分の体調もあるし、お店の出来、サービスのそのときのよしあしによっても、味覚は左右される。結局は、自分で実際に出かけて、食べてみるしか、そのレストランを判断する方法はない。
というようなグルメ・ブーム批判の後、僕は、神さまが自分の死ぬ日を前もって教えてくれるのなら、「バベットの晩餐会」のようなディナーを開きたい。それこそ、僕の全財産をつぎ込んで。
もちろん、神様は自分が死ぬ日を教えてはくれない。だから、せめて自分が死んだ後、ごく限られた友人に集まってもらって、晩餐会を開けたらと思う。これまで、仕事で、さまざまなパーティーや食事会を仕切ってきたが、最後は、自分の死んだ後、20人程度の好きな人たちのために、その人たちが生涯忘れることのない晩餐会を開催するのが、今の僕の夢である。
準備に時間が必要だろうから、一周忌のタイミングで集まってもらう。料理人は小山裕久さんにお願いしよう。小山さんからロブションにも声をかけてもらったりして……。場所の手配は、最近、アルマーニさんがグッゲンハイム美術館での回顧展を記念して開催したディナーのように、ニューヨークのビルの空きフロアをその夜のためだけに会場として創り込むのも悪くない。招待状は、「ENGINE」のアート・ディレクターの横山さんにデザインを頼もう。幹事というか、コーディネーターには、イタリアでの取材の時にお世話になっている岩倉さん。音楽は、井上陽水の「青空ひとりきり」をライブで!ディナー終了後、みなさんのおみやげにアルド・ファライの撮りおろしの僕のポートレートを。
僕の遺言状は、さながらイベント企画書みたいになりそうだ。
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- 第16回 隠れジンギスカン・マニア
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- 第17回 カバン・コレクション
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- 第18回 ピニンファリーナ・コレクション大中小
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- 第19回 ナッパ・レザー
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- 最終回 ウシ君と全部で6匹のネコ