Yoshida Kikaku Co.,Ltd.

コーイチのボーイズライフ

2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。

第10回 コレクション・ツアー 2001年07月

物見遊山的パリコレ初体験

初めてパリコレの取材にいったのは、もう20年近く前のことだ。メンズ・コレクションの時期で、1週間のあいだに100ちかいメゾンがファッション・ショーを行う大イベントをいわば物見遊山的に体験してみよう、というのが取材の意図だった。
メンズのコレクションは、ウィメンズと同じようにパリが中心で、ミラノ・コレクションはそれほど評価されていなかった時代である。パリコレのスターは、アヴァンギャルドな服と斬新なショーの演出で話題をひとり占めしていた、デビューまもないジャン=ポール・ゴルチエ。東京で開かれるファッション・ショーには何度も行っていたが、パリコレの雰囲気はそれとは根本的に違うものだった。
限られたスペースを奪い合うカメラマンたちの異様な雰囲気に圧倒され、モデルたちよりも奇抜なファッションに身をつつんだお客さんたちに驚いたりしているうちに、パリコレ初体験は終わった。それから何シーズンか続けて取材に通ったが、僕の興味は、ランウェイを行き交う新作より、会場に来ているお客さんたちの方にあった。
それから、アルマーニやカルバン・クラインで仕事をするようになり、ミラノ・コレクションとNYコレクションでメゾン・サイドのスタッフ、つまりショーの主催者側としてお客さんをアテンドするようになった。そこで、あることに気づいた。それは、この10~15年の間、ファッション・ショーに来ている人たちの顔ぶれがほとんど変わっていない、ということだ。

100人の業界セレブたち

ファッションのコレクションは、ニューヨーク、ミラノ、パリ、ロンドンの4つの都市で順番に行われる。春夏シーズンと秋冬シーズン、の年に2回。それが、メンズとウィメンズ、時期をずらして行われる。ジャーナリストやバイヤーは、トップクラスになると、両方に出席することになる。すべてに出席すると、年に4回、先の4都市を順番に回る大ツアーとなる。
今やITの普及で、ファッション・ショーの中身は、1日か2日後にはインターネットで世界中に配信され、だれでも自由に見ることができる。昔のように、コレクションを他社にコピーされることを恐れて、ごく限られたクローズドなやり方で行うことはない。スピードが重要視され、デザイナーのクリエイティヴィティはアッという間に消費されてゆく。
そもそもファッション・ショーで評価を受けるものと、実際に売れるものとは、一致しないことが多い。ショー会場で見せるものと、売り場でお金を稼ぐものとは別のモノだ。
それでは、何を目的にデザイナーたちは、15分か20分のショーのために何千万円、へたをしたら1億円を超えるお金を投じるのだろうか。答は、「イメージ」という漠然とした曖昧なものへの投資、にほかならない。15年も顔ぶれの変わらない、「イメージ」を伝達するためのショーの出席者は、ファッションの世界のいわば業界セレブたち。彼らは世界の有力ファッション雑誌の編集長やファッション・ディレクター、あるいはアメリカの大手デパートや専門店のバイヤーのトップの人たちである。ファッション業界の世論は、いわば、この100人程度の人たちによってコントロールされてきた、と言ってもいい。

メゾンの頭の痛い仕事

ファッション・ショーは彼ら業界セレブの社交場だ。会場の席次は、そこに座る人たちの重要度を端的に表している。
簡単なことだ。フロントロウ(最前列)に座っている人たちが一番のVIPなのだ。ショーの会場にやってきて、最前列の席に置かれたネームプレートを見ることで、自分の業界でのポジションを確認する。
ちなみに、ショーの会場のイスには、そこに座る人の名前がフルネームで書かれたプレートが置いてある。全席指定席で、お金でいい席を買うことはできない。長年積み重ねてきた自分の実績がものをいう。ショーのフロントロウに座っている人たちは、業界双六ゲームにあがった人たちか、もうちょっとであがる人たち。そういってしまうと滑稽な感じがするけれど。
双六に参加しないで、フロントロウに座るには、ハリウッドの映画スターになるしかない。
逆にいうと、メゾンにとってショーの席次を決めることほど頭を悩ませる仕事はない。会場にもよるが、1列目の席の数が決まっている以上、数に限りがあるからだ。たとえば世界各国で発行されている「ヴォーグ」という雑誌の編集長は、発行元のコンデナスト社の規定で、席がフロントロウを用意されなかったメゾンのショーには、出席してはいけない、という嘘のような本当の話がある。
つまり、各国の「ヴォーグ」の編集長が出席する場合、メゾン・サイドは自動的にフロントロウのチケットを出さなければならないのだ。ロシアやメキシコやコリアや、ニッポンのまでやってきたら……。このことだけでもメゾンは頭が痛い。
でも出席してもらえるメゾンは幸せと思わなければいけないのかもしれない。注目度の弱いメゾンなどは、苦心惨澹で用意した、その最前列の席が当日本番の時間にごっそり欠席者が出て穴があいてしまうことがよくあるからだ。あるいは、メゾンの対応に怒ったカメラマンが団結してショーをボイコットしてしまう、という事件が起こったりもする。そうなったら最悪。メゾンは、ファッション・ジャーナリストという、気まぐれな業界の貴族たちに翻弄されるばかりだ。

ファッション・ジャーナリズム

なぜ、ファッション・ジャーナリストたちが、これほど力をもっているのだろうか?
それは、特にヨーロッパには、ファッション・ジャーナリズムというものが、存在するからである。これはファッション業界の内側に向けて発信するジャーナリズムで、一般読者に向けての情報や評論ではない。そこが、決定的に日本と違うところだ。欧米での例外はアメリカ版「ヴォーグ」で、消費者のため、読者のためのカタログ的な役割に徹底している。だからこそ、100万部という大部数を誇っているのだろう。
同じ「ヴォーグ」でも、イタリア版はファッション写真をアートの世界まで近づけて作られていて、カタログ的とは、正反対のところに位置する。だから部数はものすごく少ない。でも、ファッション業界での評価は、アメリカ版より高いくらいだ。どっちの方向が優れているのかは、永遠に意見の別れるところだ。
さて、日本はというと、いい意味でも、悪い意味でもファッション・ジャーナリズムというものが存在していない。特に雑誌は、日本独特の道を進み、世界に例をみないほど様々なファッション関係の雑誌が発行され、それぞれビジネスとして成立している。特に部数が多いのは、カタログ的な編集に徹底した情報満載の作り方をした女性誌だ。不思議なことに、部数が多い雑誌に一流ブランドが広告を出しているとは限らないことはご存じの通り。
ところが、最近、世界のモード誌が日本独特のカタログ的女性誌の編集や、レイアウトを研究しているという。ヨーロッパでは、ファッション業界というソサエティーが崩壊することは当分の間ないにしても、彼ら自身、次の時代を模索しているのだろう。
日本では、消費者こそが貴族である。世界でもめずらしい、ある意味、民主的な国が僕たちの国、日本なのかもしれない。

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2000年10月
第1回 テスタロッサが止まらない
2000年11月
第2回 ミラノはスマートがいっぱい
2000年12月
第3回 レクター博士の石鹸
2001年01月
第4回 F1日本グランプリ
2001年02月
第5回 最後の晩餐
2001年03月
第6回 ファッション・ケア レジュイール
2001年04月
第7回 東京オート・サロン
2001年05月
第8回 サイド・バイ・サイド
2001年06月
第9回 オホーツク劇場を目指して
2001年07月
第10回 コレクション・ツアー
2001年08月
第11回 オートバイ
2001年09月
第12回 赤ちょうちん
2001年10月
第13回 悩み続けて18年
2001年11月
第14回 キッチン・ヴァージン、料理に挑む
2001年12月
第15回 最近、どんなスーツ着てますか?
2002年01月
第16回 隠れジンギスカン・マニア
2002年02月
第17回 カバン・コレクション
2002年03月
第18回 ピニンファリーナ・コレクション大中小
2002年04月
第19回 ナッパ・レザー
2002年05月
最終回 ウシ君と全部で6匹のネコ

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