2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
第13回 悩み続けて18年 2001年10月
18年持ち続けているクルマ
じつは、もう18年も持ち続けているクルマがある。
1969年型のメルセデス・ベンツ280SLだ。いわゆるヘッドライトが縦型で、縦目のSLと呼ばれる。武骨なイメージのメルセデスの中にあって、非常に女性的な、繊細なデザインの美しいオープン・カー。デザインは、イタリアのカロッツェリア「ピニンファリーナ」。
正直に言うと、僕の280SLは、好きで好きで、大切に乗り続けてきたクルマではない。20代の後半になって、たまたま初めて手に入れたクルマが、70年代初期の縦目のメルセデスの2ドア・クーペ「280CE」で、この中古のCEが実によく走った。業界用語で「程度最高」を意味する、いわゆる「バリ物」。それが後のクルマ人生のことを考えると、よかったのか、不幸の始まりだったのか。280CEは故障らしい故障もせず、味をしめた僕が2台目のクルマとして選んだのが、もう少し古い280SLだったのだ。
83年当時、映画「アメリカン・ジゴロ」でリチャード・ギアが颯爽と乗っていた「R107」のSLの中古より、そのひと世代前にあたる、縦目の「W113」のほうが価格的にもこなれていたこともある。価格は450万円くらいが中心で、いろいろ試乗してみたけれど、機関の調子がよいものはめったになかった。バブル・エコノミーで、アメリカから大量の古いSLが入ってくるのは、もう少し後の話だ。
運命の出会いは、神戸で起きた。むちゃくちゃ程度のいい69年型の280SLが個人から売りに出たのだ。外装がオフホワイト、内装も同じオフホワイトで、取り外し可能なスティールのハードトップはボディと同色、ソフトトップはネイヴィー・ブルー。70年に初登録されたディーラー車だという。ただし値段は、それまで聞いたことのない690万円という高額な数字。
でも、450万円で程度の良くないクルマを買うより、結局はお買い得だろう、と自分に言い聞かせ、買ってしまった。無茶な買い物をするのは僕の癖なのですね。
3年くらい、このSLでどこへでも出かけた。でも、オルタネーターがパンクしたり、タコメーターが狂っていてオーバーレブさせたり、オーバーヒートでエンジンがだめになったり。あちらを直せば今度はこっち。「おまえ、わざとやってない?」と言いたくなるくらい壊れた。
きわめつけはインジェクション・ポンプがいかれた時だった。この時代からキャブレターではなく燃料噴射式だったのは、さすがメルセデス。
手放すなら今だと思いつつ
ところが、BOSCHのインジェクション・ポンプはドイツからの取り寄せで、70万円もするという。これがネックとなって、かわいそうなSLは数年間、修理工場で眠りにつく。この間、世の中バブルの花盛り。ちょっと古いくらいのクルマの値段は天井知らずに値上がりし、280SLも1000万円を超えるようになっていた。
「手放すなら今だ」と思いつつ、不動のマイ・メルセデス……。
そうこうしているうち、ロスに仕事で行った時に280SLのインジェクション・ポンプのリビルド品が2000ドルで売られていたのを見つけ、その場で購入。かの地のクロネコヤマトに頼んで日本に送り、装着を試みた。でも、その部品はアメリカ仕様専用で、僕のSLには機能せず、2000ドルはパー。結局ディーラーに頼んで、なんだかんだ100万円をかけて動くようにした。
時すでに遅し。バブルははじけ、クルマの価格は大暴落。トホホ。18年も持っているから大河ドラマは続く。2年ぐらい前、友人が同じ280SLを買って、古いメルセデスのオーナーズ・クラブに入ったという。同好の士なら、僕のSLを買ってくれるかもしれないと思い、友人と一緒にミーティングに行ってみることにした。クラブでは僕の280SLがいちばん新しくて、後はすべてそれ以前のヴィンティッジ・メルセデスのオンパレード。それもエンジン・ルームのネジ1本1本までピカピカにしている。ヤレたわが愛車は、ちょっとみすぼらしくて悲しい。親として申し訳なくて、胸が痛くなる。大切にしてくれる誰かの所へ里子に出す方が、この子のためではないのか。心はチヂに乱れる。
で、クルマを売るどころか、入会金を払ってクラブのメンバーになってしまった。
里親探しています
その一方で、里親を探してくれるならこの人しかいないという思いで、古いSLを専門に扱うお店、川崎の「SL HOUSE 株式会社ムラタ商会」の社長、村田安繁さんに都内のホテルの駐車場でお会いすることに。
村田社長は、ボディがブラック、内装がレッドの僕の280より一型古い、250SLで颯爽と現れた。見た目は、僕のSLよりもかなりきれいだ。それでも、これから各部をレストアする予定のクルマだという。現状で300万円ぐらい、もう少しきれいにして、350万円で出したいという。
僕のSLを一目見て、「あまり手入れをされていないようですね」と、グサッとくる一言。そういえば、クロームメッキのバンパーはところどころに錆が浮いているし、華やかなオフホワイトのレザーのシートは、日に焼けて、茶色っぽくなってしまっている。内装のカーペットも洗ったことはないし……。
村田さんが自分で在庫しているのは、常に5、6台だが、委託で売ってほしい人のクルマが、現在20台以上あるとのこと。今や、縦目のSLは世界中で日本が一番値段が安く、アメリカの方が高値で安定しているらしい。生産から30年以上も経つと、コレクターズ・カーとしての意味合いが強くなり、よりオリジナルに近いクルマに人気が集まるという。細かい部品1個、ネジ1本にまでこだわる人が多い。村田さんは、そういう人のこだわりに応じて、レストアを引き受けている。自社工場は持っていないが、村田さんが見込んだ職人さんのいる協力工場があって、800円コースともなると新車以上のコンディションに蘇るということだ。
さっそく、わが愛車を診断してもらうことに。エンジン・ルームを覗き込み、プレートをチェック。265/265とある。これは外装、ハードトップのカラー・ナンバーで、オフホワイトがオリジナルだと信じ込んでいたのに、本当はダーク・グリーンだった。
内装のレザーも張り換えてあるという。これはダッシュボード部分のスティッチでわかる。オリジナルはスティッチがない。でも、日本にはスティッチなしで仕上げる技術がないのだそうだ。ちなみに村田さんのお店では、ダッシュボードを外して手持ちでアメリカに持っていって張り替えるそうだ。費用は10万円くらい。勉強価格であることをしきりに強調されていた。オリジナル・カラーで各部の色がマッチングしているとポイントが高いそうだ。
売るのがもったいない?
試乗してもらうと、評価は一変した。エンジンと足回りがすばらしいと驚かれた。ボディもしっかりしているとのこと。ウレシイ。
「売るのは実にもったいないんじゃないですか?」の村田さんの一言に、気持ちはまたもチヂに乱れる。「現状のままだと、個人売買で300、いや350万円で買い手はつくでしょうが、時間はかかるかもしれませんね」
やっぱり外装の第一印象が買い手には重要らしい。50万円かけて、エンジン・ルームをきれいにし、バンパーを再メッキして、内装をクリーニングすれば、おそらく450万円くらいで買い手がつくでしょう、とも。
280SLは、けして走りを楽しむスポーツカーではないけれど、大きなトルクでゆったり流すには最高。そのことからもアメリカ・マーケット向けに開発されたのがよくわかる。今や美術工芸品ともいえる作りの良さは、現代のメルセデスでは求められないものだ。僕の愛車を含めて、古いSLに興味をお持ちの方は、SL博士、村田社長のお店「SL HOUSE」(TEL044-977-6750)にご相談を。
僕はといえば、愛車を手放すかどうか、またまた悩んでしまっている。こうして18年が過ぎたのだけれど。
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