2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
第9回 オホーツク劇場を目指して 2001年06月
かわいそうなブランド
普段乗っている、愛車のマゼラーティ・クワトロポルテを整備に出すと、ディーラーが代車にと、同じマゼラーティの3200GTを持ってきてくれた。淡いブルーのまだ数千キロしか走っていない真新しいデモ・カーだ。1週間乗ってみて、その速さにあらためて驚いた。アクセルに右足をそーっとのせているだけで60キロは出てしまう。ほんの数ミリ踏み込んだだけでスピードメーターの針は100キロを超えてしまう。メーターは320km/hまで刻んであった。だから街中では、ちょっと走ってはブレーキペダルを踏む、の繰り返し。「GT」を名乗るにふさわしく、グランド・ツーリングに連れ出さなければ意味のない過剰な性能のクルマだった。
代車というと、いつもは8年落ちくらいの国産のクラウンやマークⅡなのに、今回に限ってどうしたのだろうと思ったが、よく考えてみると、今乗っているクワトロポルテがこの春、新車で購入して丸4年になるので、「そろそろ買い替えはいかがですか?」という営業だった(?)。
実は、僕はマゼラーティを4台13年以上乗り継いでいる。1台目が2ドアの「222E」、その後、4ドアの「425」を2台経て、今の「クワトロポルテ」まで途切れたことはない。よくいわれるひどい故障に出会ったことは一度もない(オルタネーターが弱いとか、パワーウィンドウが壊れるといった細かい故障は日常茶飯事だけれど……)。確かに、ドイツ車に比べれば整備に手間とお金がかかるのは事実かもしれないが、マゼラーティはこれまで、不当に品質を中傷されてきたかわいそうなブランドだと思う
男と女
「425」で東京から北海道の網走まで往復2000キロ以上という、まさにグランド・ツーリングに出かけたことがあった。
小学校のころ、父親の仕事の関係で何年間か、北海道の網走ですごしたことがある。小学校の高学年のころだった。当時、ませた小学校のコーイチ少年は、邦画、洋画をを問わず映画が大好きで、学校が終わると自転車に乗って町の映画館に通っていた。自転車は、当時ボクの自慢の丸石自転車、10段変速のドロップハンドル。見ていた映画は、加山雄三の「若大将シリーズ」や、洋画だと「ドクトルジバコ」「007シリーズ」などといった時代だった。60年代中頃から後半の時代、自分の部屋には、アン・マーガレットや、クラウディア・カルディナーレのピンナップ写真を飾っていた。
5年か6年生だったある夏の日、いつものようにひとりで映画館にでかけ映画を見ていたら、補導員に声をかけられ補導されてしまった。フランス映画「男と女」(1966年製作)を見ていたときだった。クロード・ルルーシュ監督の大人の恋愛がテーマ、「シャバーダ、ダバダバダ……」というフランシス・レイの音楽であまりに有名なこの映画、映画館がすいていて、子どもひとりでいるボクが目立ってしまったのがいけなかったのか、映画の後半の、映像が美しい官能的なベッドシーンの場面になってすぐに、映画館の事務所に連れて行かれてしまった。今考えると大きなお世話なのだけれど、「小学生が見る映画ではない」と怒られた。
結局、「男と女」をちゃんと見ることができたのは、それからずうっと後、大人になって、レンタルビデオ屋から借りてだった。20年以上経って、ようやっとこの映画を見て思ったが、補導員のいうことも一理あったと納得。小学生が見て理解できるとは思えない大人の恋の物語だった。
ストーリーはアヌーク・エーメ演じる、スタントマンの夫を撮影中の事故で亡くした映画のスクリプト・ガールの女性と、ジャン・ルイ・トランティニアン演じる、これまた妻を亡くしたレーサーが、お互いの子どもをあずけている寄宿学校に、それぞれ子どもと楽しい週末を過ごして送り届けた、雨の日曜日の夜に偶然出会うところから始まる。お互いに心に深い傷をもつ男と女が、ぎこちなく純情な恋をする。フォードのワークス・ドライヴァーであるジャン・ルイは、モンテカルロ・ラリーを走り終わった夜に、女から「愛しています」という電報をホテルで受け取り舞い上がってしまい、競技に出場したゼッケン付きのマスタングでモンテカルロからパリまで、夜通し走って会いに行ってしまう。この、ひとりマスタングをすっ飛ばしていくシーンがすごく好きだ。彼女に会ったときの情景を勝手に頭のなかでシミュレーションしてみたり、ひとりきりで長時間クルマを走らせる時の思考の様子がクルマ好きならよく理解できる。
ビデオを見終わったら、網走の映画館での出来事や、その当時の些細な日常の出来事が鮮明な映像になって、フラッシュバックのように思い出された。そうすると、むしょうにあの映画館が今どうなっているのか知りたくて、数日後、マゼラーティ425を走らせ、無謀にも網走を目指して走り出した。あの、思い出の映画館、「オホーツク劇場」を目指して。
しかし、網走は、モンテカルロからパリまでより、はるかに遠かった。
グランド・ツーリングの楽しみ
東京を出て、東北自動車道の青森まで約700キロ。朝早くに出発して、夕方青森について、フェリーで函館に渡るともう真夜中。そこで1泊し、次の朝、洞爺湖から旭川を抜けるルートで走りつづける。夜になって旭川をこえて、温泉町の層雲峡でまた1泊。網走にたどりついたのは、東京を出て3日目の昼だった。
町が当時の面影を残していないのは当然としても、あるはずの「オホーツク劇場」がどこにもないのが不思議だった。昼食のために入った町のすし屋で年配のご主人に尋ねると、映画館があった場所は、大きなチェーンのスーパーマーケットに建て直されたという。それどころか、僕が子どもの時にあった4軒の映画館がひとつ残らずなくなって、何年も前から町に映画館は1軒もないという。
東京にいるとあまり感じないが、地方都市では、映画館がどんどんなくなっている。
ビデオの普及や娯楽の多様化がそうさせたのだろうが、ちょっとさびしい。僕は少年のころ「オホーツク劇場」で見た映画のことを鮮明に覚えている。まるで映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のようだが、僕より上の世代の人たちにとって映画館はノスタルジーあふれる存在のはずである。かわりにできたスーパーマーケットで夢が買えるとは思えないし。
僕は、それまで走ってきた道を逆に、東京目指してマゼラーティを走らせた。
帰路は、札幌で1泊。次の日函館発のフェリーで青森に着いたのが夜10時。それから東北自動車道をかなりのペースで飛ばし、明け方には東京に着いた。二千数百キロ、3泊4日のツーリングはこうして終わった。
ただただクルマを走らせるだけの旅だったが、いろんなことを考えながら走るのは、すごく楽しい。グランド・ツーリングの楽しさはそこにある。
マゼラーティ3200GTに1週間乗ってみて、またどこか遠くに走っていきたい、と久しぶりに思った。GTカーというのは、そうした気持ちを呼び起こさせるクルマだ。
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