2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
第1回 テスタロッサが止まらない 2000年10月
フェラーリが欲しい
6月も後半に入った土曜日、コーンズの芝浦ショールームに出かけた。お目当ては、先のジュネーブ・ショーで発表されたフェラーリ360モデナのオープン≪スパイダー≫。2日間だけ日本で展示された後、次の月曜日には南アフリカへ送り出されるという。
ショールームの一番中央の、お立ち台ともいえるスペースでライトアップされたスパイダーは、写真で見ていたより、もっともっと美しい。イエローのエクステリアに、深いグレーの革のインテリア、F50をイメージさせるロールバーはブラックのマット。スケルトンのリアのエンジン・フードからは、美しい400馬力のエンジンが、どうだ!とばかりに存在をアピールしている。
「欲しい」
何年ぶりかで、心の底から欲しいと思うフェラーリだ。僕の正気を、またフェラーリが失わせようとしていた。
思えば4、5年に一度、フェラーリというクルマは僕の正気を狂わし、とんでもない行動をとらせてしまう。後先のことを考えず、衝動買いさせてしまうのだ。
バブル景気がまだ続いていた頃、フェラーリは自動車というより美術品と同じように、投機の対象になっていた。世の中ぜ~んぶの金銭感覚がおかしくなっていたのだから、フツーでいられた方がおかしい。
天井知らずで価格が上がっていく家やマンションは、もう一生手に入らぬものに思えた。狭い1DKのマンションに数千万円という値段がついているのだから、それよりスーパーカーを、という心理状態になっても不思議なことではない。
フェラーリ328の新車が並行モノで2500万円(正規モノは当時1365万円)、テスタロッサは5000万円(同2580万円)、F40にいたっては、正規ディーラーの定価4500万円に対して、2億円のプライスタグがついていた。本当にF40を2億円で買った人がいるのか?
ハイ、いました。僕が証人です。当時仕事でお付き合いしていたアパレルの会社が、社長の趣味と投機を兼ねて、スーパーカーやヴィンテージ・カーを買い集めていて、そこの常務さんがクルマ屋に手付けを払いに行くというので、物見遊山で目黒通りの今はなき高級並行屋までついて行きました。手付金は、4000万円の小切手。たしかに残金1億6000万円という契約書をこの目で見ました。
「僕もフェラーリが欲しい」
子どもの頃からの夢だったフェラーリを買うのなら、今しかない。日毎にどんどん高くなっていくのだ。家もマンションもどうせ一生買えないのなら……。そして、ついに正規ディーラーに申込金300万円を支払い、348をオーダ―してしまいました(定価1820万円)。
「納車まで4年ほどお待ちいただきます」
セールスマンの言葉にもさほど驚かず、むしろ4年あれば、金はなんとかなる。その頃、経済は誰にも平等に右肩上がりに見えたし、誰もがそう信じていた。
世の中には、フェラーリを持っている人と持っていない人の2種類の人間がいて、同じ持っていない人でも、フェラーリに憧れるだけの人と、それをオーダ―している人は全然違うんだよね、精神的な優位さというやつが。しばらく、気持ちのいい日日を過ごさせていただきました。
ナマコ・ガレージの恐怖
半年ほど経ったある日、セールスマン氏からの電話。
「実はテスタロッサにキャンセルが出まして、即決していただければすぐ御納車できます。外装赤、内装黒、もっとも人気のある、いわゆるフェラーリのスタンダードでございます」
翌日、実車を見に行った。水平対向12気筒をミッドに積んだ、フェラーリのフラッグシップ。その低さと、圧倒的な大きさと存在感、オ―ラが出ていたのをこの目で見た、ような気が、今でもする。
値引きなし。定価で2640万円也。そのとき、僕の目は焦点がどこにも合っていなかったと思われる。半年前から始めたフェラーリ預金ではどうにもなるはずもない。それより、あの空も飛べそうな乗りモノを自分で動かすことができるのだろうか。頭の中に様々な思いが駆けめぐる。
で、結果、買ってしまいました。
だって、5000万円で取引されているテスタロッサを正規ディーラーの定価で買えば、一瞬にして2千数百万円も儲かってしまう!
それが大きな錯覚であることが、マインド・コントロールされた人間にはわからないのである。ローン会社設立以来の史上最高額というオートローンの審査も難なく通ってしまた。僕を止めてくれる人は誰もいなかった。貸し渋りなんて言葉がなかった時代。こうして、1991年4月、真っ赤なテスタロッサは僕のものとなった。
それからの甘い生活……。
というわけには、残念ながらいかなかった。その日から、ストレスとの闘いとなった。まずは、駐車場の確保。テスタロッサを雨ざらしにしておくわけにもゆかず、当時住んでいた借家の大家さんと交渉して裏の空き地を借り、ガレージを建てた。と、いっても有り金をはたいているのだから、まともなものを望むべくもない。
知り合いの建設屋の孫請けの下請けのようなところにアルバイトとして頼んだことに無理があったのだと思う。地面に鉄のポールを打ち込み、ジョイントによって四角い箱のようにポールを組んでいく。そこにハリ金で角材をくくりつけ、屋根と壁をクギで打ちつけてゆく。屋根と壁の素材は「ナマコ材」である。「ナマコ材」がどんなものか知る人は一般にはあまりいないだろう。名前の由来は知らないが、表面が波打った、いわゆるトタン板の素材がプラスティックでできているモノだ。
以来、テスタロッサの住居は、ナマコ・ガレージと呼ばれることになった。
ナマコ・ガレージは風に弱い。台風のような強風にさらされると、屋根が飛んでしまう。嵐の日には、夜中だろうと、高い脚立に登り、飛ばされそうなナマコ材に補強のクギを打ち続けるしかない。世界のどこにいようと、風が強い日にはガレージを心配しておなかが痛くなった。マンハッタンでいくら風が吹こうと、遠い日本には関係ないと頭ではわかっていても、である。いわゆる強迫神経症というやつだ。その後、引っ越しをしてナマコ・ガレージと縁が切れても、これはしばらく続いた。
燃えるような人生を
「走らせると楽しいか?」
もちろん、イエスである。「ハイになる」という表現の方が当たっている。時どき、脳内快楽物質が流れ出すのを実感することもある。前に向かって走っている時に限って、ではあるが。
テスタロッサは、外から見るのと異なり、意外なほど運転しやすい。大きさも気にならない。確かに2メートルの横幅は道を選ぶが、たいていのところには入っていける。まるで猫が自分のからだの幅を測るための触覚としてヒゲを使うように、あの独特のデザインのドアミラーが車幅を知らせてくれる。
ただし、ギアをバックに入れるとつらい。車両感覚もつかみにくいし、斜め後ろの視界は絶望的である。
テスタロッサとの9年間の日々、実は公道で縦列駐車をした経験はない。ちゃんとしたパーキング・スペースがないところへは乗っていかない。渋滞の中を走った記憶もあまりない。つまり、交通量の少ない時間と場所を選んで、エンジンにストレスがない回転数で走らせる(免許証のことを気にしながら、ではあるが)。
どこにも駐車することなく、そのまま帰ってくる。これこそ、正しいテスタロッサの走らせ方だと思っている。都心に乗っていったこともない。そのためか、僕が本当にテスタロッサを持っているのか疑っている友人さえいる。最低地上高が低いため、ガソリンスタンドの入り口の段差も要注意だ。安全とわかっているスタンドにしか行けない。最初の頃は、ガソリンを入れるために高速に上がり、パーキング・エリアのスタンドを目指すことさえあった。そう、簡単にはテスタロッサは止まれないのだ。
故障だって避けては通れない。ある日、高速道路を走行中に、突然エンジンの片バンクが死んでしまったことがあった。安全な場所を探して、それでも走り続けると、ルームミラー越しに、エンジン・ルームから炎があがっているのが見えた時には焦った。高速の出口で止め、通りがかったトラックの消火器で火を消したときは、まさに呆然自失。修理には6カ月以上かかった。その日以来、レース用の消火器をふたつ積んでいる。
テスタロッサを買って燃えるような人生を送ろうと思った。でも、あれから9年。この春、3回目の車検を通すまで付き合ってみて、燃えたのは人生ではなくて、テスタロッサだけだった。
新興宗教の教えのままに、1000万円のツボを買う人もいる。マインド・コントロールが解けたとき、それをとんでもないと怒る人も多い。
フェラーリも同じことなのだと思う。この、自動車メーカーとしては新興の会社は、クルマではなく、宗教を商売としているのだ。他人からどう思われようと、僕のように、マインド・コントロールされている、世界中の多くの人々によってフェラーリは生き延びていく。
ショールームで妖しく輝く360スパイダーを見たとき、たとえだまされていても、それでいい、と僕は思った。
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