2000年10月~2002年5月
この連載は、2000年10月号~2002年5月号まで新潮社の雑誌「ENGINE」に連載したものを再録したものです。
第2回 ミラノはスマートがいっぱい 2000年11月
ミラノが変わった
7月にメンズのミラノ・コレクションをからめてイタリアを旅した。
ミラノへは、ほぼ半年ぶりだったけど、なんだか街の様子が変わっている。何百年も前に建てられた石の建物はそのまま。当たり前だけど。同じ石でできた街でも、華やかなパリと較べると、暗くて重いミラノ。そこで何が変わったかというと、やたらとモダンでカラフルなスマートが走り回っていることだ。路駐しているスマートも半端な数ではない。
もともとファッション・ウォッチのブランド≪スウォッチ≫が開発に加わった、この未来のコミューター、スマートは、その後、メルセデスとの合弁事業が白紙に戻るなど、ゴタゴタし、やっと発売にこぎつけた後は計画通りの売り上げ目標が達成できず、経営的にかなりヤバイ状況と聞いていた。それなのに、ここミラノでは、あの旧型チンクエチェントに代わる新しいマイクロカーとして、確実に受け入れられているように見える。
暗い石の街に、モダンでファッショナブルなスマートが似合うかどうかは、意見の分かれるところだろうけれど、僕は似合うと思う。
ミラノでは、クルマは日常の足として欠かせない。したがって街中クルマだらけ。クルマで出かければ駐車しなければならないわけで、そうなるとスマートのように全長が短い(2.5メートル)と、ちょっとした空きスペースに簡単に駐車できる。この便利さはなにものにも換えがたい。スマートがファッショナブルなイメージをミラノの人たちに植え付けたのには、発売時のプロモーションに負うところ大らしい。ミラノ・コレクション開催時に、モデルたちの移動の足として、スマートが提供されたのだという。かっこいいファッション・モデルがショーの会場から会場へと移動する際、スマートを使った。ファッション・ウィークは、ミラノの街を、スマートのための巨大なキャットウォークに変えた、といってもいいだろう。
ラテン気質の謎
ヨーロッパの街では、小さいクルマほど便利。だいたい、走っているクルマを見ると、3人以上乗っているのは少ない(これは東京でもいえる)。ふたり以下で移動するには、本当は雨に濡れないスクーターがあれば事足りるわけで、2席が普通のクルマと変わらない空間を持っているスマートが、ミラノで受けるのは当然のことだ。
イタリア人はマニュアル・シフトを駆使し、エンジンをリミットまで回して運転する。そうすると、パンダでも街中ではそうとう速い。60過ぎのバァさんも、ダブル・クラッチをつかって走っている。道路には、日本みたいな車線がないから、スペースがあれば、1車線が3車線にだってなる。スペースを見つければ、そこに鼻先を突っ込んで信号グランプリ!信号は守るにこしたことははいが、安全が確認できれば、必ずしも守らなくてもいいことになっているらしい。
東京と較べて渋滞が少ないのは、ドライバー全員、運転がうまいから、という気がする。ふだんはのんびりしているくせに、運転するときだけ、なぜあんなにみんな急ぐのか。ラテンの気質には謎が多い。
謎といえば鉄道だ。何度もイタリアで電車に乗ったが、自分が乗るべき電車が本当は何番線から出るのか、自分の責任において確認しなければならない。ホームに出ている表示は、かならずしもそのホームから出る電車の行き先を示しているとは限らないのだ。
一度、フィレンツェからミラノに行こうとして、逆方向の特急に乗ったことがある。次の駅は終点のローマ。同じ電車には、僕と同じように、ミラノまで行くアメリカ人のグループが何組もいた。イタリア人は間違っていないのだから、秘密の暗号で彼らにはわかってしまうのかもしれない。
始発駅からの出発も時間通りに出ることは少ない。遅れるのは納得できるが、5分から10分も早く出ることがある。そのくせ、目的地にはかなり遅れて到着する。なぜ?車両は全席指定なのに、ほとんどの客は指定された席に座っていない。これには最初戸惑った。自分の席に誰かが座っていたら、空いている席を見つけて座るしかない。そうこうしているうちに、なんと全員が、どこかに席を見つけて、結果オーライとなる。
あるとき、フィレンツェからミラノに行こうとしたら、切符売り場がストライキ。それも丸1日。電車は普通に走っているので、みんなそのまま乗りこむしかない。ほぼ満席の無賃乗車客を乗せた列車は、ミラノの手前のボローニャで客の半分を降ろす。今日はどこまで行っても無料なの?と思っていると、車掌がそのあとやってきて、しっかりミラノまでの料金を徴収していった。「ボローニャまでの人はタダなの?」と質問すると、「だって混んでんだから。空くのを待ってた」と平気で答えたのにはあきれた。これもイタリア式合理主義か。
東京のスマート
電車は許そう。困るのは飛行機。アリタリアで、ミラノからヨーロッパ内の国際線に乗ろうとすると、たいていオーバー・ブッキングで、運が悪いと乗せてもらえない。そういうときは、どこかほかの都市のフライトに振り替えられ、そこで乗り換えて目的地まで行けるように手配してくれる。これも彼らからすれば「結果オーライ」なのだろう。
イタリア式合理主義(じつは結果オーライ主義)は、慣れてしまえば、そういうものかと思ってしまう。成田空港に着くまでは。
日本に帰ってから、スマートに乗るチャンスがあった。ミラノで元気よく走っていたマニュアル仕様ではなく、いわゆるクラッチレスの2ペダル仕様のカブリオレ。目いっぱい加速しようとすると、レブリミッターにひっかかり、ボボボーと咳き込んでしまう。ゆっくりのんびり街をおとなしく流すのに向いているようだ。
東京でのスマートはどうだろう?
事実上、すべての道路が駐車禁止となっている東京において、縦列駐車に便利なそのサイズは、じつは違法駐車に便利、ということ。どう考えても交通のジャマにならない場所に停めておいても、運が悪ければ違反キップが切られてしまう。駐車場に入れると、中型車の半分のスペースに駐車できるのに、料金は同じだけとられる。そもそも幅が数センチ大きい(1515mm)というだけで、税制上、優遇される軽自動車として登録することができない。
すべてが合理的ではないこの国では、スマートの合理主義が通用しない。スマートを通して、ヨーロッパと日本の、社会や文化の違いを考えさせられた。ちょっと大げさだけど。
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